コロナに負けるな!第1回ZOOMで中皮腫患者インタビュー

2020年4月11日
中皮腫サポートキャラバン隊
ゲスト:館山亮さん、勝沼範和さん
インタビュアー:田中奏実さん

  新型コロナウィルスの影響で日本全国「緊急事態宣言」が出されて、外出の自粛、3密の回避など日々の仕事や活動にかなりの悪影響を及ぼしている状況にあります。私たち『中皮腫サポートキャラバン隊(以下、キャラバン隊)』も現在はその影響で現在全国キャラバン隊活動や患者さんとの面会は自粛しています。
 しかしながら、今状況でも全国に点在し、闘病を続ける中皮腫患者さんを励ませないかと考えた時、一つのアイディアが浮かびました。
 共同代表の故・栗田英司氏が生前、キャラバン隊発足時において、「全国の長期生存者や元気な患者を見つけてインタビューしよう。そして一冊の本を作ろう」と、提案したことで全国の長期生存者や元気な患者さんを探して、全国行脚を始めました。おかげさまで、一昨年6月「もはやこれまで」という著書を出版することができました。そして今回、この全国の長期生存者や元気な患者さんへZOOMを使ってのオンラインインタビューを企画しました。
 キャラバン隊が発足してから多くの患者さんとお会いし、まだまだ長期生存者や元気な患者さんがいることが分かりました。そんな方々をこちらからピックアップしてお願いし、自身の闘病生活や治療、あるいは夢などを大いに語っていただき、全国の中皮腫患者さんの励ましや参考にしていただければと思います。中皮腫患者の症状や経過、治療法は皆さんそれぞれ違います。その中で似たような症状の方や考え方が共鳴されるような方もいると思います。大いに参考にして今後の治療や病気との向き合い方に役立てて欲しいと思います。

 第1回のゲストは勝沼範和さんと館山亮さんの北海道在住の2人、そしてインタビュアも北海道の田中奏実さんです。勝沼さんは2016年に確定診断を受け、山口宇部医療センターの岡部先生により左肺胸膜外全摘手術を受け、その後、持病の糖尿病とも闘いながら現在経過観察中です。館山さんも昨年確定診断を受け、北海道で片肺胸膜外全摘手術を受けるも再発し、現在オプジーボを投薬しながら、趣味のDIYを楽しみながら闘病しています。田中さんは18歳で胸膜中皮腫を罹患し、片肺胸膜外全摘手術、放射線、抗がん剤治療を受け、現在は経過観察で再発もなく11年目を迎えています。

中皮腫サポートキャラバン隊
共同代表 右田孝雄

第1回ZOOMで中皮腫患者インタビュー

【右田】「コロナに負けるな!第1回ZOOMでインタビュー」ということで、いわゆるコロナウイルスの関係で緊急事態宣言が大阪、東京とか大阪に出てますけども、まあ北海道はまだ出てないんですけどもね、やっぱりその、一応、自宅待機ということで、キャラバン隊活動ができないということでですね、何かできないかということで、これから全国の患者さんにインタビューをしていこうと。それで、を、ですね、「みぎくりハウス」に載せて、いろんな人の参考にしてもらうということで、今日から始まった企画の第1回目です。第1回目ということで、北海道の3人さんに来ていただいてですね、既にですね、田中奏実さんのほうはインタビューをしてるんで、インタビュアーということで今日やってもらうということで、本日、一応、総合司会ということで、私、右田が、共同代表の右田がさせていただきます。インタビュアーということで、北海道の副代表ですね、田中奏実さん、よろしくお願いします。

【田中】よろしくお願いします。

【右田】インタビューされる側としましては、患者さんでですね、舘山亮さん。

【舘山】よろしくお願いします。

【右田】勝沼範和さん。

【勝沼】よろしくお願いいたします。

【右田】今日は明るく楽しく元気にインタビューしていきたいと思います。よろしくお願いします。それでは田中奏実さん、よろしくお願いします。

【田中】私は悪性胸膜中皮腫の患者で、今から11年前に発症しました。当時18歳でした。それから、当時は学生でしたので、学校を休学しまして、静岡のがんセンターに行って、抗がん剤と、左肺の全摘手術と、あと、放射線治療を30回行いました。その後、普段の生活に戻りまして、現在まで結果は良好で元気に生活しております。よろしくお願いいたします。では、次に舘山さん、自己紹介、お願いできますでしょうか。

【舘山】舘山亮と申します。北海道の江別市に住んでます。昭和50年11月生まれで、今、現在44歳になってます。症状については同じように悪性胸膜中皮腫という形になってまして、詳しい話は後ほどいたしますので、よろしくお願いいたします。

【田中】次に勝沼さん、自己紹介、お願いいたします。

【勝沼】勝沼範和と申します。小樽在住、私は58歳。皆さんと同じ悪性胸膜中皮腫を発症しておりまして、遠いところで手術を受け、こちらに戻って経過観察してるんですが、なかなかうまくいかないと。その辺も後でお話していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

中皮腫の疑いのはじまり

【田中】最初の質問なんですけども、お二人は一番最初に違和感を感じたのはいつ頃で、どんな症状がありましたか。では舘山さんから回答をお願いしてもいいでしょうか。

【舘山】2018年の11月の14日の夜にですね、ええと、咳と背中の痛みがあったので、まあ、次の日、現場が札幌市の麻生というところだったので、そこの近くの病院に行くような形になりました。そのときが一番最初の症状です。最初、風邪かなとは思ったんですけども、何か背中の痛みが何か、ちょっと、なんとも言えない違和感があったので、ちょっと何か変だな、というのはありましたね。僕は結構、あんまり痛くても病院に行きたがらないほうですが、今回の背中の痛みと咳が、ちょっと微妙に何かいつもと違うなっていうのがあったので、ちょっとさすがにやばいかなと思いましたね。

【田中】勝沼さんは最初に違和感を感じたのはどんなときで、どんな症状がありましたか。

【勝沼】2016年の11月に、健康診断で怪しいっていうことで見つかったんですけども、それまでは特にこれといって症状は無いんですが、今、考えてみると、たまーに息苦しさ、息が続かないとか、というのが徐々に出始めてきたような感じは持ってましたね。痛みとかは無かったです、そのときは。私はもともと病院嫌いなんで。何をやっても病院に行かない人間ですんで。健康診断で見つかったから仕方なく行ったかな、っていう感じぐらいだったんですよ。

中皮腫の診断に至るまでの検査

【田中】お二人とも普段はあまり病院には行かないということで。では、そんな中で病院に行って、まず最初にどんな検査をされましたか?舘山さん、どうでしたか?最初の検査って。

【舘山】次の日に現場の近くの病院に行ったんですけども、まず最初にレントゲン撮ったときに、左肺に10分の2ぐらい水がたまっているっていうことで、まあ恐らく軽い肺炎でしょうということで、診断されて、薬を処方してもらって、また後日来てくださいという話で、診断されましたね。

【勝沼】私は一番最初行ったときに、健康診断とは別の病院へ行きましてね。そこで、血液検査、レントゲン、CTを撮ってもらって、レントゲンの影の確認をして。CTを撮ったときに先生が、これ、ちょっと怪しいどころじゃないんで、3、4日入院をして、生検をちょっと採って詳しく検査をしたいから準備をしてくださいということで言われて。その2週間後に入院しましたね。CTを撮って、そのCTを見せてもらうと、何か変な、ぽこぽこぽこぽこぽこっていうのがあって、ちょうど何か縦にすると無数に拡がってて、14個だか15個だか腫瘍が、そのとき既にあったって言ってましたね、先生は。

【田中】なかなかその中皮腫って、こう、見つからない患者さんとかもいらっしゃるんですけど、勝沼さんの場合は結構早い段階で先生のほうが気づいてくれたっていう感じだったんですかね。舘山さんはその後、中皮腫までわかった経緯っていうのは、どうだったんですかね。

【舘山】近くの病院に行ったときに薬を処方されて、また来てくださいって言われたんですけども、ちょっと薬の関係なのか、ちょっと症状が落ち着いてきたのと、仕事が忙しくて行けなくてですね。そのまま放っといてたっちゅうのが、自分の中で勝手に経過観察してしまってですね。次の年の1月の10日ぐらいにですね、ああ、初旬ぐらいですね、正月ぐらいのときに、ちょっと調子悪くなって、今度は結構咳が止まらないぐらいでるようになってしまって、いよいよまあちょっとまたやばいなっていうことで、前、行った病院に1月10日の日に、また受診しに行ったんですけども、そのときにレントゲン撮ったら、今度はもう8割ぐらい、水、肺にたまってるってことだったので、もううちの病院では診れないっていうことで、その先生が北海道大学出身ということもあったので、北大のほうを紹介していただいて、2月の、ああ、ごめんなさい、1月の22日に北大のほうに受診したんですけども、まあ、レントゲン撮って、CTとかもいろいろ撮った結果、すぐ入院してくださいと言われて、その日に入院して、で、いろいろ生検だとかいろいろ検査をして、ええと2月の6日の日に確定診断を受けました。

中皮腫の確定診断を受けたときの心境

【田中】それで中皮腫って聞いて、すぐにこう、ピンとっていうか、どういう症状とか、どういう病気かって、きましたか?

【舘山】確定診断受けたときには、正直、中皮腫っていう病気は知らないので、いや、がんじゃないのかな、っていうふうに簡単には考えていたんですけども、私の場合、ちょっと言われたのが、ええと、最初に診断されたのが、悪性胸膜中皮腫ですと。で、肉腫型で、ステージがⅣって言われて、ま、すぐ手術をしないと余命3ヶ月です。で、手術をしても、今年の正月を越せるようにがんばりましょう、というようなことを言われたんですけども。ま、正直、余命言われても、知らない病名ですし。最初、ちょっと一瞬、真っ白にはなったんですけども、まあ、でもちょっと僕の場合、性格が昔からそういう性格なのか、ま、仕方無いかなっちゅうのが、その週にすぐに何か、頭の中で処理して、すぐもう、あの、じゃ、どうしたらいいんだろうかっていう考えのほうになりましたね。

【田中】すぐに前向きに気持ちを切り替えていかれたんですね。

【舘山】前向き、そうですね、なってしまったのが仕方無い、考えても仕方無いかなという部分はありましたね。

【田中】勝沼さんはどうでしたか?中皮腫って聞いて。

【勝沼】呼ばれたときに、先生の顔がえらい暗かったんですよね。で、言わなきゃならないことがありますって言って、何か嫌な予感はしてたんだけど。で、病名、悪性胸膜中皮腫ですって言われて、悪性ってつくからにはやっぱり、それなりの大変な、がんの一種で、治療法は無い、と。手術して取り除けば、寿命は少し延びるけれども、今の段階では半年から1年半の寿命と考えてくれって。まあ、言われてもね、症状も何も無く、いきなり言われても「えっ?」っていうことになって。そのときは病室は出た、診察室は出たんだけど、その後、腰抜かしちゃって、待合室でしばらく座ってて。で、お袋が先にタクシーで家帰って、いろいろとテレビ見たり、そこから情報収集、お袋がして、つなげてくれたっていう感じですかね。

【田中】そのときのお母様って、どんな反応でしたか?聞いてびっくりとか。

【勝沼】うちの娘のときもやっぱり、同じがんの宣告を受けてるんで、そんなに馬鹿みたく取り乱したってことは無いんですが、やっぱり身内にがんがまた出たっていうことで、やっぱり結構、取り乱してはいましたね。病名も、そんな病名、聞いたことないって、言って、びっくりはしてはしてましたね。

【田中】余命とか寿命っていうのも、言われますもんね。

【勝沼】そう。今ははっきり言われるからね。

【田中】ご家族からしても何かもう、悲しみの感情とかいろいろ出てきますよね、きっと。

【勝沼】やっぱり何をどうしたらいいのか、次は何をやればいいのかっていうのが、全然、わかんない状態でしたね。

【田中】舘山さんはどうでしたか?ご家族の反応は。

【舘山】確定診断受けたときは、うちの妻と二人で聞いてたんですけども、妻は真っ白というか、ほとんど何かその時、何をしゃべっていたのかっていうの、先生としゃべっていたのかよく覚えてないみたいで。で、子どもたちは、まだ、まあ、上の子が、当時は18歳と、下の子が13歳だったんですけども、まあ、詳しく説明しても仕方無いっていう部分と、余命の話をしても負担かけるだけだなと思ったので、とりあえずは、まあ、お父さん、がんだから、ちょっと治療に専念するから、まあ、いろんな面で協力してねって形では話したんですけども、ああ、わかったよ、みたいな感じで、ま、ちょっとあっけらかんとした。まあ、がん自体の、病気がよくわかってないのか、そういう形で、ちょっとあっけにとられたような形でしたね。

【舘山】病気自体があまり理解、ほんとに理解してなかったと思いますね。僕の前で見せなかったのか。そういう、僕が感じたのは、あまり気にしてないというか、そういう形には感じました。

【田中】娘さんの話も聞いてみたいですね。そうなると、どんな気持ちだったのか、当時。

【舘山】どうなんでしょうかね。僕も今、未だに聞いたことないんでね、わかんないですけどね。

【田中】確定診断がおりて、治療とかっていうのは、どんなふうに決まっていきましたか?

【舘山】治療は、手術しないとっていう部分があったので、セカンドオピニオンとかの話もあったと思うんですけど、3ヶ月っていう猶予しか無いっていう部分と、まあ、北海道で言えば北海道大学病院っていうのは、まあ、あの、いろいろ数える有名な病院ですし、まあ、先生自体も北海道随一、唯一、機械は揃ってますよ、っていうことを言われたので、まあ、時間の選択肢はもう無いのかなっていう部分はあったので、まあ、そのまま先生のほうに、北大のほうにお願いしてですね、で、まあ、手術をして、左片肺を全摘して、あと、横隔膜もちょっと、腫瘍、あったので、半分ぐらいかな、半分ぐらい取って、今、人工の横隔膜を入れて、で、ええと、ま、そのあと、放射線ですね。放射線を30回、やりまして、そのあとに抗がん剤治療だったんですけども、それもアリムタとシスプラチンをやったんですけども、まあ、本当は4クールやるはずだったんですけども、ま、1回目は入院して、病院のほうで、あの、抗がん剤打ったんですけども、まあ、2日ぐらいしか、辛かったイメージは無かったんですけども、2回目からは、もう打った次の日というか、夜中過ぎぐらいから、もう症状が酷くてですね、10日間ぐらい、ずっともうインフルエンザのだるいみたいな、ちょっと数倍きついような形がもう10日間ぐらい続いて、やっと回復したと思ったらまた次の抗がん剤っていう形を続けてたので、まあ、それはもう3回目で、あの、終わった段階で、先生のほうに、ちょっと辛いから止めたいっていうことで、ちょっと止めさせてもらって、一応、抗がん剤を3回。で、ええと、それから3ヶ月ぐらいは、ええと、腫瘍も小さくなってるっていうことで、ええ、よかったねっていう話はしてたんですけども、まあ、その3ヶ月後にですね、またちょっと再発っていう形で、腫瘍がまたちょっと大きくなってきてしまって、で、やっぱりちょっと効いてないんだね、っていう話で、オプジーボを始めまして、ちょうど昨日、あの、10回目のオプジーボを打ってきたんですけども、昨日ちょうどCT撮ったときには、あの、腫瘍は小さくなってきているんで、オプジーボ効いてますね、っていう話が今のところの経過観察の形ですね。

【田中】再発されたって、あったんですけども、そのときにどんな思いがありましたか?

【舘山】治らないとは自分の中で思っているので、治そうとは思いますけども、まあ、治らなくても仕方無いかなっていう部分も自分のどこかでは残しているので、まあ、その分、絶望とかっていうのは無いですね。まあ、なったらなったで仕方無いかなっていう部分でしかないですね。

【田中】最初の気持ちと一緒で、なったらしょうがないという。勝沼さんは、どうでしたか?どんな治療されましたか?

【勝沼】私の場合は、当初、小樽の協会病院で診断を受けて、北大に行く予定してたんです。手術も全部決まってたんですが、あの、そのときにうちのお袋が、家族の会の方と連絡がつきまして、で、話をさせていただいて、その、山口の岡部先生に、いいから電話せえ、と。何でもいいから電話しなさいって言われて電話して、お話を伺いました。で、悩んで、悩んだあげく、あの、自分の生きるためだと思って、まあ、舘山さんにはちょっと申し訳ないかもしれないんだけども、あの、北海道よりも、そういう先生に切ってもらったほうが、少しでも生きれるのかなと思って、そちらを選択して、山口行って手術、同じように左肺全摘、それから神経も一部切除、筋肉切除、横隔膜ですね。それも切除して、再生術をして、ます。痛みはずっと続いてはいたんですけども、その後、放射線を28回受けまして一時、退院しました。抗がん剤は、こっち、北海道、北大でやる予定してて、そのためにちょっと入院はしたんですけども、その担当の先生から、抗がん剤は、あの、再発してからやるほうがいいんで、本当は今はやんないほうがいいんだよ、って。それでも、あの、ま、岡部先生の指示があったんでしょうね、それで、やりますよ、と。何かこう、岡部先生が話すのと、その先生が話すのと、ちょっとレベルが違うよな、って。なんでそういうふうに言うのかな、って、逆にまた、岡部先生に相談しましたら宇部へおいで、と。北海道捨てておいで、ということで、また宇部へ飛んで、6クールの予定で、アリムタ、シスプラチンをやる予定で行ったんですけど、1回目で、まあ、症状と言えば、そうですね、身体全体に、こう、重いコンクリートがどかーんと、こう、乗っかってきたような感じで、動けなくなってしまったり、白血球が全然上がらなくなったりして苦しんで。で、先生も、そのときは内科の先生だったんですけども、これはもう1回で止めたほうがいいね、ということで、じゃあ北海道の病院を紹介するね、っていうことで、今の、行っている病院に紹介されて経過観察をしてます。

【田中】左肺の全摘って、結構大きい手術だと思うんですけども、手術って決まったときに、どんな気持ちでしたか。

【勝沼】目の手術は前にやってるんだけども、それと違って取っちゃうんで、この先、どうなんだろうって。不安で。まあ、2つあるもの、1つ、残るんだから、まだいいよな、とは自分に言い聞かせてはいましたけどね。だけど実際はもう、怖くて怖くて。うん。もう、手術決まってから、夜は全然寝れなかったです。

【田中】そうですよね。そういう思いって、誰かに話したりとか、できました?

【勝沼】一人で入院していたんで、看護師さんに話したりするしかできなくて。たまに、あの、息子が設定してくれた、あの時、Skypeかな。Skypeでこう、家族と繋がって、そこでいろいろ話はして。まあ、迷惑だったんだろうかね。夜中の11時12時につなげて、いろいろ話して。まあ、終わった後は、ドラマの話になっちゃうけど、本当にこう、宇部のこの、窓の外、見ながら、本当に毎日泣いてましたよ。怖くて怖くて泣いてて、看護師さんが、どうしたのって言うぐらい。本当に毎日泣いて過ごした。あんだけ人間、涙出るのかなっていうぐらい、泣いてましたね。

【田中】不安ですよね。私も全摘したんで、気持ちはすごくわかります。話せるご家族がいて、ちょっと良かったなって、聞きながら今、思ってました。

【勝沼】お袋も娘も、がん経験者だったんで、その苦しみっていうのを少しでもわかってもらって。それがやっぱり救いだったし、病院の方々のフォローもあったしね。患者と家族の会の方々も連絡くれたりして励ましてくれたり。そういう面ではすごく精神的には助かりましたね。

胸膜中皮腫胸膜肺全摘術後の痛み

【田中】左肺取られて、術後すぐっていうのは、どうでしたか?痛みとか、やっぱり結構、強かったですか?

【勝沼】半端なかったですね。硬膜外麻酔を入れている関係で、痛みは治まるはずなんですが、3日後も痛くて騒いでました。一番嫌だったのは、レントゲンを背中に、板さすのに、こっち痛いって言ってるのに無理くりがっと押されて。それでもう涙出るほど痛くて。それでレントゲン撮られて。その後、また寝かされるんだけども、身体が動かない。3日目になったときに、その硬膜外の針が曲がって刺さってるっていうことがわかって、これなら痛いよねっていうことで、今から硬膜外やっても仕方無いからって外されて、普通の薬に切り替えたんです。どういう表現したらいいのかっていう痛さでしたよね。人間の身体、ぞうきんで絞るような、痛いのでじーっとしていられないんですけども、身体が動かない。頭の線がどっか切れそうな感じで苦しかったっていうのは覚えてますね。

【田中】身体が動かなくて、いつ頃から身体って、こう、少しずつ動くようになりましたか?

【勝沼】術後、次の日に強制的にベッドの座るっていうことからやらされて、とにかく3日で無理くり立って、で、歩行器使いながら、足引きずりながらトイレ行った記憶はあるんですけど。今思えば無理にやって良かったのかなって思ってます。無理してここまでやれば、次のステップがあるっていうような。そのときにはまだ子どもたち、宇部に来てくれてたんで手伝ってくれたりして。そういう励ましもやっぱりありましたからね。

【田中】舘山さん、どうでしたか?術後の痛みとかは。

【舘山】痛くて、まったく動けない状態で。さっき勝沼さんが3日ぐらいで歩いてっていうのが、まず僕はできなくてですね、1週間ぐらいほとんど寝たきりの状態でした。先ほど言った、そのレントゲン撮るにしても、背中に板を入れるんですけども、身体を起こせないし、起こされるのも痛いんで、それは止めてくれって話で。身体をぐっと座椅子みたいに起こした状態で、身体だけすっと起こしたらダメなの、って言ったらそれでいいって言っていたので、それだと結構痛みが軽減してたので、それで細工しながらやってたんですけども。1回ですね、ちょっと汚い話なんですけども、排泄もできないので、おむつとかもしてたんですけども。当初はその点滴をずっとうってて、そのときは便というのはでないんですけども、それから離乳食みたいなのに変わったのかな。そのときにやっぱり便が出てくるんですけども、そのときおむつして取り替えてもらって、というのを看護師さんにしてもらったんですけども、そのとき看護師さんが1回自分でやってみな、って言われて、無理矢理、こう、お尻を上げられて、この、便器っていうんですか、小さい簡易便器みたいなのを入れられたときに、もう激痛が走って、丸一日痛い思いをして、ずっともがいてこらえていたっていうのが。で、なんぼ麻酔をうっても効かないし、一日ずっと夕方ぐらいまでか5時ぐらいまでやってたんですけども。それであと、何かきたときに、痛みのスペシャリストだとかっていう何か先生が来て、で、麻薬を、これうったらいいでしょう、って言って、うった途端にすっと痛みが消えて楽になったというのがあるので。僕の場合はやっぱり1週間ぐらいやっぱり寝たきり。で、2週間あとから、車椅子乗って便座までの移動は自分でして、用を足したっていうのは覚えてますね。完璧じゃないですけども、2週間ぐらい経ってから、まあ病棟だけなんですけども、病棟をリハビリがてら、ぐるぐる回ってくださいっていうことを言われて、ずっと徘徊してましたね。

【田中】私も手術したんですけど、まあ、勝沼さんと同じように、何かすぐ歩けと言われて、個室に移されてから。だから患者さんによっても痛みってこんなに差があるんだなと思いてました。

【右田】手術したことは無いんですけど、どんな痛みですか?よく看護師さんが言うじゃないですか。10の痛みやったら、どのぐらいや、って。10ぐらいですか。

【舘山】うちのかみさんに、よく、あんたは痛がりだって言われてるんで。と、いうよりは、あの、耐えられないかもしれないです、僕の身体自体が。

【勝沼】10で表せって言ったら、100ぐらいですよ(笑)

【右田】

10で表すのも100っておかしい話(笑)やっぱりそんなもんですかね。僕ら手術したことないから、その痛みがわからんのでね。

【勝沼】切った傷のあとの痛みなのか、ゴアテックス貼って再生手術したやつの痛みなのかってわかんないんですけどね。

【田中】みんな言うのはあれですよね。何かこう、お腹に鉄板が入ったような、重さがずーっと残ってるって、聞きます。

【舘山】重さは感じなかったですけど、傷口というか、全身が痛かったっていうか。傷口からいろんなとこに走ったんでしょうね、痛みが。どことなく、どこを動かしても痛いみたいな感じで。首も、寝返りもうてない状態だったので。一歩も動けないので。高熱が、38度ぐらいずっと毎日続くんですけども、身体が熱いし病院も暑いので、背中から足にかけて、動かさないと良くないってことで何か巻いてですね、動かすようなことをするんですけども、あれもまた暑くてですね。もう全身、汗びちょびちょで、お風呂も入れないし身体も拭けない状態なので、痛みの中でそのねちょねちょ感がすごい気持ち悪かったっていうのは覚えてますね。気持ち悪さはほんとに、今でも覚えてます。

胸膜中皮腫胸膜肺全摘術後の治療ー抗がん剤やオプジーボについて

【田中】お二人は今、現在は治療はどうですか?舘山さん、オプジーボされてるっておっしゃったんですけども、他に治療とかは。

【舘山】昨日、ちょうど10回目のオプジーボが終わって、ちょっとCT撮ってみようってことで、まあCT撮ったんですけども、見る限りでは小さくなってるってことで。効いてるんだね、ということでこのまま継続して続けて行きましょうと言われました。

【田中】勝沼さん、どうですか?今、治療は。

【勝沼】再発の可能性がまだ残ってるんで、前の月よりは影が大きくなってはきてるんですよね。今後はアリムタ、シスプラチンをやって、効かなければオプジーボに変えるっていう話は聞きましたけども。

【右田】主治医と仲良くするっていうのは、まあ、大事なことやけど、どうしてもやっぱり気になるんやったら、自分の納得、先生、納得する先生にたどり着くまで、セカンドオピニオンはやってもいいと思うし。過去にもやっぱり聞いたところには12回セカンドオピニオンやった方もいてますからね。実費はいるけど。やっぱり納得する形の先生で治療したいということもあるんでね。勝沼さん自身の、方向性でやればええと思う。むやみやたらと先生と、医師ともめる必要は無いし。粛々とやっていけばいいと思うし。今の2人の痛みの状況というのは、どうなんですか。痛みは今、そんなに無いですか。例えば、肺が、2人とも肺が片方、無いじゃないですか。生活のバランスだとか、息苦しくなる時間だとか、夜は寝られへんとか、寝付きが悪いとか。その、傾き方では寝られへんとか。

【勝沼】痛みは、継続してずっとあるんですが身体伸ばしたときに、ゴアテックス入れてるんですけども、そのゴムがぎゅーっと伸びるような感じ。引っ張られるような感じの痛み。それから、針を刺すような痛みがみぞおちのあたりだとか、横隔膜があったあたりだとかにありますね。寝方は、左下にしては痛くて寝れないです。ですから右下にして寝るのと、不思議な現象で、仰向けになったときに胃だとかって、臓器が動く。なんて表現したらいいのかな。仰向けになったときに、平らにならされるっていうか、ぐにゅーって動くような感じが。一番は入浴後、サーチレーション(酸素飽和度)が90以下に下がったり、階段上って降りて、やっぱり90切ったりしてるんで、そのときは在宅酸素のお世話になってはいますけどね。歩くとき、も、長距離は今、ちょっと歩けないんで、なるべくこう、ゆっくりゆっくり歩いていくような感じにしてますよね。痛みはやっぱりありますね。

【舘山】私は背中の痛みが結構あって、何か作業するだとか、傷口じゃないんですけども、傷口の後ろなのか、右もあるし真ん中もあるしっていう状態で、先生にも言ったんですけど、左はやっぱり手術の影響って考えられるけど、右側はちょっとわからないとか言われたんですけども。それがやっぱり術後もずーっと続いているような、現在も続いている状態で、痛み止めの麻薬を飲んでるんですけども。痛いときに飲んでくださいってものが、足りないぐらいちょっと飲んでるっていう形で。昨日も薬を変えて、ちょっと様子見てくださいってことだったんですけども、一番はやっぱり背中の痛みで。鈍痛の痛みが、なんとも言えない痛みがあって。痛くなるとソファーなり、座って寝っ転がる状態になると、ある程度、楽になるので。楽になるとまた作業を始めたりだとか、動いたりっていう形なんですよね。それがずーっと続いているような状態ですね。薬飲んでも、予防にもなるってことだったので、痛くなるのがもう嫌なので朝昼晩飲んじゃうんで、結局、薬がちょっと足りなくなっちゃって、きている状態ですね。あとは、ちょっと発作的な、手術してすぐはずっと咳き込んでたんですけども、いっとき良くなったんですけども、また最近発作的な咳が出るようになって。朝が多いんですけども、咳き込んでしまって、そのまま吐くぐらいまでの状態で、それも15分か20ぐらいですね。ぐっと咳き込んで吐いて、それで良くなってきて落ち着いてきてっていうのが、先々月は週に2回、3回ぐらいあったんですけども。それも薬飲み始めてからは週に1回とか。まあ、時に2回ぐらい。ま、今日もちょっとさっきも、朝、ちょっと咳き込んでてっていう形にはなってたんですけども。咳き込むと傷口がつるんですよね。内臓なのか何かがつってしまってですね。手とか突っ張ると、ひっぱるとこう、伸ばしたりすると解消されるんですけども、どことなく中が突っ張ってるので、解消しようが無いので、いつももだえているっていう状態を続けて。あとは、薬の影響だと思うんですけども、耳鳴りですね。耳鳴りがずっとしてるので、まず体温計が聞こえないというのと、もしかしたら他に聞こえない部分があるけども気づかないので、あるかもしれないですね。つい1ヶ月ぐらい前に、在宅酸素を始めたんですけども。やっぱり歩いてると辛いんですけども、いま特にマスクをしていかなきゃならないっていう部分の中で、マスクしてるとやっぱり歩いていると辛いのは辛いですけども、正直、僕はちょっと、してまではちょっと歩きたくないっていう部分はあるんですけども。で、寝てるときはですね、どうしても、昔からそうなんですけど、無呼吸で、結構、睡眠の質が悪くてですね、いつもぼーっとしてたので、まあ、それも兼ねてちょっと在宅酸素っていう形で今回始めたんですけども。もう寝るときはもう今はずっと、毎日しながら寝てるんですけども、やっぱり朝起きるとやっぱり結構すっきりして起きれるようにはなったので、だいぶ解消はされましたね。

胸膜中皮腫を発症して一番つらかったこと

【田中】いろんな治療をされて、発症してから一番辛かったことって何ですかね。舘山さん、どうですか?

【舘山】やはり痛みとして辛かったのは、抗がん剤ですね。1回目はよかったんですけども、2回目、3回目が10日間ぐらい、もう24時間だるさというか痛さというか、なんとも言えない辛さが10日間ぐらいずっと続いてたので。それがもう一番辛かった、というのはありますね。あとはやっぱり、何が辛いっていうと、やっぱり家族ですね。抗がん剤のときもそうですけども、もだえてても、うちのかみさんが「背中さするかい?」とは言ってもらってても、いや、そんなことしてもらっても何も解消にならないし、気持ちはありがたいんですけども、余裕が無いので、もういい、とかっていう突っぱねたとかってのもあったので。まあ、家族にどうしたらいいのか、僕がどう接してあげれば家族が幸せになれるかっていうのが、できなかったっていう部分は治療中はずっと思ってたので、そういう部分では申し訳なかったな、っていうのが、ちょっと辛かったっていうのは、ありました。

【田中】勝沼さん、どうですか?

行き場の無い寂しさ

【勝沼】一番辛かったのは、治療で言えば放射線もそうですし、抗がん剤も辛い治療でしたんですけども、やっぱりメンタル面がですね、大部屋に移ったときは周り、休みとかになると、誰か彼かお見舞いに来るじゃないですか。で、現状どうだ、とかって聞かれるんだけど、私からしたら言う相手がいない。看護師さんに言っても、「ああ、そうですね、そうですねー」って流されてしまう。だからはけ口がないのがずっと何ヶ月も続いて。やっぱりこう、考えてみればひとりぼっち。それはやっぱり辛かったですかね。今はね、こっちで入院しても、家族がすぐ来てくれるからいいんだけども。そのときは家族、誰もいない。ひとりでぽつーんと、部屋の中にいるっていうのが、精神的にすごい重くのしかかりました。今、思っても嫌です。さみしくて、もう。誰に言うこともできなく、行き場の無いっていうか。

【田中】病室って独特な空気というか、ありますよね。孤独感というか、ひとりでいると。私も北海道から静岡に行ったんで、ちょっとわかるなって思いながら聞いてました。誰にこう、母親が、私はいたんですけども。友達とか来てくれなかったんで、ちょっとさみしいなと思いながらいたので、わかるなあ、と。

【勝沼】誰一人、来てくれないっちゅうか、来れないから。周りがうらやましくてね。いつも家族や子どもがいたから、うらやましいなあと思って。そのときはもう、ひとり布団の中でぐーっと丸まって、もう、蚕のように閉じていましたね。泣いてた自分がいましたけどね。

【田中】なかなか難しいですよね。近くにいたら近くにいたで、当たったりとかもしちゃうし、いないとやっぱりさみしいなと思ったり。

【勝沼】そうですね。まあ、看護師さん、2人ぐらいにはあたってた記憶はありますけどね。

胸膜中皮腫胸膜肺全摘術後の治療中に励まされた出来事

【田中】治療中に励まされたことって、どんなときですかね。何かこう、嬉しかったとか。どうですかね。

【舘山】外科手術が終わって、2週間以上経ってから、ある程度はもうほぼ動けるようになって、歩いてもいたぐらいのときに、まあ、あの、そうですね、見舞い、皆さん、先ほどから、勝沼さんと田中さんとは違って、私はちょっと、地元からというか、近かったもので、結構、あの、友達とか友人とか家族とかが、ま、こまめに、まあ、あの、見舞いに来てくれてたんですけども、その中で、前にも言ったんですけども、友達がですね、2人で、夕方の4時ぐらいにです、仕事が早く終わったからって見舞いに来たんですけども、そのうちのひとりがヤマザキって言うんですけど、そいつがですね、いきなり病室で気絶してですね、あの、看護師さんにちょっとナースコール押して、友達、見舞いに来た友達が気絶しましたってことで、で、看護師さんが慌てて来て、5人ぐらいで来て、ひとりの看護師さんが僕の腕をつかんで「大丈夫ですか!舘山さん!」って、血圧測ろうとしたんですけど、いやいや、俺じゃなくてこっちこっちっとかって言って(笑)で、友達が、ここに、え!?みたいな感じで看護師さんもびっくりしてですね。で、なんせそのまんま、友達は緊急入院してですね、1週間いたっていう伝説を残した男がいるんですけども。まあ、そいつが来てからですね。まあ、仲の悪い友達だったらちょっと距離があって、またあれなんですけど、高校のときからの、まあ友達なので、すごい仲の良いやつだったので、次の日というか、もう夜中からですね、消灯時間過ぎてても、そいつの部屋に行っては看護師さんに怒られてですね。早く寝なさいとかって看護師さんに怒られて。で、まあ、次の日からも、ご飯食べるのとシャワー浴びるのとか、治療以外はですね、あの、そいつのとこ行ったりこっち来たりとかですね。もうずっと朝から晩までずっとしゃべってですね。毎日1週間ずっと一緒に過ごしてたっていうのが、まあ、一番、まあ、励まされたというか、楽しかったことというか。まあ、そのおかげもあってですね、僕のほうの回復もですね、やはり早くてですね。当初、入院期間が1ヶ月っていう予定だったんですけど、まあ3週間で、まあ、退院という形で、1週間早く退院できたので、まあ、そいつのおかげかなとは思ってます。

【田中】倒れた場所が病院で良かったなあって。お見舞い来る前じゃなくて良かったなっていう(笑)病院の中で。

【舘山】病院の中でたまたま気絶したんで。隣がちょうど専門職の先生たちで、ちょうど5時ぐらいで仕事が終わってあがってきたところだったので、その場ですぐ処置してくれたっていう。救急車より速いところでしたね。

【田中】勝沼さん、どうですか?励まされたこととか。

【勝沼】そうですね。一番最初は、術後、岡部先生が回ってきてくれるんですけど、いやあ、あの先生、明るくでかい声で病室入ってくるんだけども、手術はうまくいったし、ま、5年は大丈夫だろうって言ってくれて。その、自分の中のその、1年半っていう余命って考えてたのが払拭されて、「あ、5年は大丈夫なんだ」って思って。それがちょっと嬉しかったのと、やっぱり、何もすることが無いんで、右田さんがこう、いろいろ教えてくれた、ブログですよね。それを最初のブログ打つのが、すごい、指が動かなくて。でもそのブログに励まされて、まあ、頑張って生きたい、前向いていきたいなあって思って、それがだんだん、こう、日課になってきて、病状報告だとかをして、冗談を言い合える仲になって。それがやっぱり一番自分にとっての良い薬になったんではないかなって思っています。

【田中】舘山さん、どうですか。

【舘山】一番はやっぱり会社のほうでですね。結局、うちの課が上司と、私と、もうひとり、3人しかいない小さい課なんですけども、その一番下の人間も、まだ入ってきて1年っていう中で私がちょっと入院してしまって。ちょっと心配していたんですけども、上司が2つ上なんですけども、良い兄貴であったり、良い上司であったりという部分の中で接していたんですけども、「会社のほうは大丈夫だから」って。なんとかしてやるから、お前は治療に専念しろ、という部分で。お前が戻ってこれるような環境を作っておいてやるから、いつでも戻ってこいって言ってくれた言葉が、やっぱりちょっと一番嬉しかったですね。

【田中】やっぱり治療とかって、結構不安ですから、職場でそういう安心感があると嬉しいですよね。

【舘山】やっぱりその1年生がいたので、一応は何かわからなかったら電話出れるときは出るから、電話してこい、とは言ってもやっぱり、ほとんどそんなに電話かかってこなかったので。治療してるからっていう部分もあって遠慮して電話してこなかったと思うんですけども、その分、おそらく言ってはいないんですけども、上司が大変な思いしてるんだと思うんですよね。面倒見るのもやっぱり、自分の仕事も見て面倒も見て、という部分は、大変だと思うので、そういう部分ではもう、助かりましたね。

【田中】勝沼さん、どうですか?

明るく、前を向いて

【勝沼】最初に医者のほうから、もう仕事はもう諦めてくださいって、はっきり言われてましたんで。ぎりぎりまで仕事して。会社の人たちからもメールとかLINEとか来て励ましてはくれてたんですけども。僕の中ではやっぱり、うん、岡部先生の言葉や、お亡くなりになりましたけど、栗田さんにお会いしたときに、「明るくして、前向いていきませんか」って声かけていただいて。それに右田さんの、くよくよしたってしゃあないだろう、っていうような話で、とにかくもう、右田さんの場合はいじってくるんですよね、みんな、ご存じの通り。それも免疫力が自分の中で上がっていってるんだよな、って思って。非常に最近では良い刺激になって嬉しいなと思ってます。やっぱり言葉が、今でもずーっと残ってるのが、栗田さんの言葉ですね。僕も病気だからがんばっていきましょう、というのと、前向いてね、明るく元気でやっていきましょうって。自分の思いを他の人たちに伝えていければ一番良いことなんじゃないの、って。そういうのは常に言われていましたね。それと、そのためにはお前、もっと勉強せえって、ある方からは、毎回言われてます。

【田中】同じ患者さん同士というか、そうやってやっぱり、気持ちがわかり合える部分とかもたくさんありますからね。今もいろいろと痛みがあったりとか、してるとは思うんですけども、この状況で一番これから大事にしていきたいなって思うことって何かありますか。

【舘山】大事にしたいことと言うか、本当は僕の中では早く回復して仕事復帰して、普通の生活に戻りたかったんですけども、やはりちょっと無理かなと気づいてきて。今までやっぱり仕事して、仕事人間なので、仕事しないっていうのは社会から追放されてるっていうわけじゃないですけども、そういう感覚になってちょっと悩んだときもあったんですけども、今は、その、仕事、前にもちらっと言ったんですけど、趣味というか、何か自分にできることがあれば仕事は電話とかじゃないですけど、こうこうこうだぞ、ああだそ、っていうぐらいは手伝えるような形をしてですね。今、僕は自分の時間を大事に使おうかなっていうふうには思ってます。自分の時間というのは、DIYが好きなので、本格的じゃないんですけども、そういうとこに力を入れて、自分のやりたいことなので、ある程度は好きにやらしてもらって、家族もある程度、了承してもらってですね、好きなようにやらさしてもらって、自分なりにストレスをなるべくためないようにして、病気にあまり関心がいかないようにというか。諦めてるわけじゃないですけど、気にしないのが一番良いのかなっていうのが僕なりの考えなので、自分のやりたいことをやっていこうかなという部分で、自分のやりたい時間を大事にしていこうかなというふうには思っています。昔からそうなんですけど、病気、病気っていうか、こうなったら、じゃあ、こうしよう、ああしようっていう、選択肢を増やしていって、自分なりに、じゃあ、こうしよう、ああしようっていうふうに決めていくので。そこで踏みとどまる。病気のことも、もちろん先ほどの勝沼さんもですけど、勉強していって、もちろんやるのもそうなんですけども、僕は学が無いんで、勉強するのも大変なので。ある程度は勉強していこうかなとは思うんですけども。それ以上にやっぱり自分の時間を大事にしていこうかなと思ってます。

【田中】作品というか、何かこう、いろいろ作られるんですよね。

【舘山】そうですね。木工関係のものを作ってるんで。家のもの作ったりとか、してますね。

【田中】勝沼さん、どうですか?今、一番やってみたいこととか、何かありますか。

【勝沼】夢の物語なんだけど、身体、治したい。普通の健康な身体が欲しいというのが一番なんですけど、旅行が趣味なんですよね。あっちやこっち、行きたいなっていうのが、ありますね。でもやっぱりこう、家族がやっぱり大事だし、周りが大事だし、何をしたいっていうの、はっきり無いんですよ。ぼやーっとしか生きてないんで、今。家でやってることっていうと、DVD観賞が好きで映画とかドラマとか、観賞が好きで、それをずーっとこう、観てる。それと、犬の散歩。結構きついんですよね、うちのワンコ、ひっぱるんで。過ごす時間も長いし、娘と過ごす時間も長いし。目が、ご存じのとおり、片っぽ悪いんで免許があるうちに、あちこちドライブしてみたいなっていうのはありますよね。来年が免許更新で、ひとつの勝負になりますので、更新できなければ免許も当然、なくなっちゃうんで、それまでの間で、車で行けるとこ、ちょこちょこっと娘に手伝ってもらいながら、行きたいなと。今はとにかく、がんばって自分のやりたいこと、旅行もやりたいし。

中皮腫患者として大切にしているもの

【田中】今、一番、大事にしたいものとかことって、ありますか?

【勝沼】大事にしたいものは、かっこいいことを言えば命かな、なんて。でも、実際、やっぱり大事にしたいのは家族だよね。家族と、犬。やっぱり大事。でも、感謝しなきゃなんないんだけども、家にいるのがストレスになっちゃって、それこそ当たってしまう自分があるのは、ちょっと悲しいんですけどね。今、コロナもあるし、出歩けないっていうのが。やっぱり患者さん同士が一番、辛さをわかってもらえるのかなって、思いますね。今、こうやって話してもらってる人たち。そういうのをほんとに大事にして、これからも相談していきたいなって思いますね。

【田中】舘山さん、どうですか?今、一番やってみたいこととかは。

【舘山】結局、DIYをやっていきたいんで。で、今、結局、まあ、すごい大変なことなんですけども、小屋を今、建ててですね。体力がどこまでもつか、もしかしたらやってる最中にくたばるかもしれないんですけども。とりあえずは小屋を作るのがやってみたいことというか。やるんですけども。一応、そういう形で、また作品だとかいろんなものを作っていきたいと思っています。毎日、いかに楽しく生きるかが勝負なんで。

【田中】患者さんですとか、ご家族さんに伝えたいことですとか、治療中のアドバイスとかって、何かありますか?

【勝沼】とにかく言えるのは、さっき舘山さんも言ってたんだけども、この病気になってしまったからには、まあ、どうにもできない、抜けられないものがあるので、治療、人、それぞれね、いろいろあるとは思います。人に合った治療というのが。柱はあるんですけども、その量だとか、いろいろなものがあると思うんですよね。ただ、その抗がん剤だけが効くという問題でもないでしょうし、他にいろいろ、これから新薬が出てくるかもしれないのですけど、まずやっぱり希望というものを捨てないで、前に希望を持って。例えばこの人が10年生きたら私は11年生きてやるとか、そういうちょっとした希望を持ってやっていきたいな。自分自身で思うことが大事なのかなって思いますね。自分もそうなんだけど、こういう治療がある、ああいう治療があるって、そういうことばっかり考えて下向いて暗くなるよりも、先生が言ってくれるのやればいいかな。わかんなければ自分で調べて、先生、こういうの無いかい?とかって言うのもひとつかなって。

【舘山】僕も確定診断受けて、聞いたことの無い病名を聞かされて、ある程度すんなり受け入れた部分はあったんですけども、インターネットとかいろいろ調べても、やっぱりこの病気っていうのは、治療法が少ないですし、予後が悪いだとかいう悪いことしかほとんど書いてないんで。模索しながら考えている部分っていうのは正直あります。で、あと、家族には感謝してますし、普段はうまく感謝の気持ちとかも伝えられないっていう部分はあるんですけども、私が長生きすることが家族に対しての恩返しだっていうふうには思っていますんで、みなさんやっぱり、そういう患者さんにしても家族にしてもそういう気持ちでやっていければいいのかなとは思います。

【田中】ご家族さんも、本当に支える側としての、いろんな思いがあるなあっていうのは、私もすごく感じてて。私も患者なので、やっぱり家族に対しては、さっき勝沼さんがおっしゃったように、当たってしまったりとかも多々あるので、何か本当に、何て言うんですかね、患者として、家族も辛いんだなというか、いてくれてありがたいなっていう気持ちをやっぱり大事にしていきたいなって、私も思いました。お二人ともキャラバン隊で活動されていると思うんですけども、今後、こういったことをやっていきたいとかっていう思い、何かありますか?

【勝沼】患者さんはこれからどんどんどんどん、増えていくんじゃないのかなって危惧はしてます。患者さんからとったら、僕もそうだったんだけど、キャラバン隊って何、患者と家族の会って何って、一歩引かれるんですね。引いちゃうんですよ。それを、どうにかして無くしていって、仲間とつなげたいっていうのがありますね。全国津々浦々、回れるもんなら回って、いろんな思いを伝えていきたいなっていうのは、あります。難しい話は僕はできませんけど、簡単な話でもよければ伝えていきたいなっていう思いは持ってます。

【舘山】去年も厚生労働省のほうに要望書を出したという経緯もありますので、中皮腫自体の病気を治せるようにいろんな要望書を作って、どんどんどんどん出していってですね、しつこいぐらい出して、認めてもらうことを推奨していったらいいのかなというふうには思います。あとは病院がですね、中皮腫の認識のなさ。病院に行ったときに、病院側が認識とスキルがあれば、中皮腫に対しての病気が対応ができると思うので、まあ迅速な対応ですね。その病院で診れないんであれば、他の病院とネットワークをつなげて、中皮腫にかかったらここの病院に行きなさいよ、とかっていうパンフレットみたいなのがあると、助かる命が増えてくるのかなというふうには思うので、その辺をちょっとしっかりして。どういう形でやるかはまた話していかなきゃならないんですけども、そういう形でできればいいのかなとは思います。あと、私の経験、田中さんに最初にお会いしたときとかもそうですけども、すごい何か勉強になったという部分もあったし、ほっとする部分もやっぱりあるので、患者さん同士じゃないとわからないという部分はあるので、そういう部分ではやっぱり、そこの患者さんのところに行って、いろんなお話をさせていただくっていうのは、積極的にやっていきたいなと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

【田中】病院の話が出たんですけども、右田さんはこれからその病院との連携とかって、活動としてはどうなんですか?

【右田】当然それは必要やと思いますわ。関西では、兵庫医科大付属病院で、月1回中皮腫サロンをしようということで今やってるし。先生とかの提案で、今後、一緒に講演活動もしてくれるというふうな前向きな意見もらってるんで、医療関係者と連携するということによって、今後の治療法の研究にも活かしてもらえるじゃないかと思うし、先生方も患者の気持ちを理解していただいて、患者と医者との、やっぱりその距離感を縮めていって、あの、ね、治療法をどんどんどんどん見つけていっていただくというふうな、ね、そういうふうなことをしていきたいなと思ってます。厚労省とか環境省とのつながりも必要やし。医師会、ソーシャルワーカーさん、患者会との連携も必要やし。中皮腫という病気の基本としてね、動いていくのは当たり前ですけども、やっぱりキャラバン隊だけではできない。自分ひとりでできない、キャラバン隊だけでもできない。患者だけでもできないし。だからいろんなことを巻き込んでいって、法改正になったらね、国会議員まで巻き込んでいかなあかんようになってくると思うんで、やっぱりそういった部分の土台作りっちゅうのはこれから大切じゃないかと思ってます。3人の方が観覧に来てるんで、もしよかったらちょっと感想とか、質問あったら聞きたいなと思うんですけど。

【観覧者】皆さんと違って自分の場合、腹膜の病気なんで、治療法とかも若干変わってはくると思うんですけど、やっぱり同じ病気で苦しんでるということで情報とかを共有できれば嬉しいし、この病気になって最初は右も左もわかんない状態で、やっぱり家族の会と、それからキャラバン隊に非常に勇気づけられているというのもありますね。この後、治療でどこまで生き延びれるかっていうのは、あるもんですから。やっぱり皆さん、家族ありますよね。自分もそうなんですけど、悲しませたくないっていうのがあって。皆さんの話、聞いてて共感しっぱなしでした。

【右田】私も一昨日の話ですけど、主治医から余命1年ぐらいやぞ、アリムタ効かへんかったら1年ぐらいやぞって言われたんで。そのときは素直に受け入れたんやけど、やっぱり時間経つにつれてね、やっぱり家族と離れるっちゅうのはやっぱり辛いもんですから。そのために何しなあかんかって、やっぱり考え直しましたね。一番はやっぱり、負けん気ですわ。闘争心。絶対負けへんぞっていう気持ちで取り組むっていう部分が一番、やっぱりあれかなと思いますけどね。あと、吸収力っていうんですかね。あれがええぞ、て言われたらね、やっぱりそれ、ぱっと見て試してみる。あかんかったらあかんですぐ止めたらええんですよね。お金かからへんことに対して。第1回目ということで、いろんな話、聞けたなと思ってます。今日は勝沼さん、舘山さん、ありがとうございました。