同志がまた一人

中皮腫サポートキャラバン隊
共同代表 右田孝雄

中皮腫という希少がんと闘ってきた同志がまた一人旅立ちました。
中皮腫サポートキャラバン隊の副代表であり、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会福岡支部の世話人の今村亨さん。享年54歳。私と同い年でした。

今村さんと初めてお会いしたのは、一昨年の福岡支部での講演会に初めて来られた時でした。今村さんご夫妻が関西の病院へセカンドオピニオンへ行った帰りに奥さんが私のブログを見て、急遽福岡の講演会に来て下さいました。

一目見た時から笑顔で接して下さり、穏和で素敵な方でした。奥さんも明るくて、仲睦まじいお二人を羨ましくも思いました。

それからはお二人とも、講演会や交流会、中皮腫・同志の会にも頻繁に来られるようになり、そのうち皆さんの前で体験談を話して下さいました。奥さんも同じく、日頃夫のためにどんな料理を作っているのか、どんな代替療法があるのか調べて実践した体験談を披露してくれていました。

私生活では怒ったことのない今村さん、奥さんや娘さんとも常に仲良く、お二人の言うことにはいつも「うんうん」と笑顔で接していたそうです。5歳下の弟さんからも「年が離れていたのか一度も怒られたことがなかった」と話を聞きました。当然私たちにも怒った表情など一度も見せたことがありませんでした。私が彼に愚痴を言うと、いつも「そうですよね。何で分かってくれないんですかね」と、穏やかな表情で私に同情してくれていました。そんな誰とでも穏やかに常に笑顔で接してくれた今村亨さんが、わずか54歳で人生の幕を閉じるとはどこにこの怒りの矛先を向ければいいのでしょうか。

ある時、今村さんが奥さんに「なんで僕だけが中皮腫を発症しちゃったんだろう」と言った時、奥さんは「みんなの分を亨君が一手に引き受けたんだよ」って言ったそうです。それを聞いた彼は「だったらいいか」と納得されたとか。なんて気の良い方だったのでしょうか。
中皮腫を発症して、手術に踏み切ったが途中で石灰化していて胸膜剥皮術を断念、ろっ骨を一本取っただけで終わった手術に「骨取り損のくたびれもうけ」なんて二人で笑ったこともありました。その後、抗がん剤やオプジーボを積極的に試すも乾癬の持病を患う彼には副作用が人一倍強く出ていたのも事実でした。

それでも入院先の病院では毎日率先して、同じ中皮腫患者さんの病室を回っては病状を伺いながら入院中の患者さんを励ましていました。私が連絡する度に「〇〇号室の●●さんは・・・」という感じで報告してくださいました。退院したらキャラバン隊も率先して活動するからと、いつも「申し訳ない」と言ってくれました。私も見ていて、何とかならないものかとよく相談もしました。しかしその辺りから少しずつ、私や奥さんには弱音を吐いたりもしました。それでも治療は諦めず何か自分にあった治療法はないか模索していましたよね。昨年10月初孫を見て、「この子のために頑張ろう、この子が免疫力を高めてくれる」と期待していましたが、この頃から投薬した抗がん剤がより一層彼の体力を消耗させていったのでした。

ひとつの判断ミスがそうなったかは分かりませんが、年明け1月18日に私が面会に行った時は声も出すことができず、以前の今村さんの面影は、痩せ細り見る影もありませんでした。その日、娘さんがサプライズで今村さんに病室でウェディングドレス姿をお見せするところに私は立ち会う頃ができました。娘さんのウェディングドレス姿を見た今村さんは渾身の笑顔で応えていました。何度も何度も娘さんの手を握り、小さな声で「よかった」と言っていました。その光景は私の脳裏から離れることはありません。

三日後の1月21日、彼は深い眠りに就きました。最後は奥さんに涙を見せながら息を引き取ったそうです。

誰からも愛される誠実さ、謙虚さ、そして穏やかな笑顔は、彼に関わった全ての人からは消えないでしょう。今村亨さん、もう痛みに耐えることはありません。ゆっくりくりちゃんたちと今後の私たちの活動を見ていて下さい。

そして、いつか笑顔で再会しましょう。