悪性胸膜中皮腫発症9年目になりました-治療と復職の実際・渡辺益孝さん講演録(中皮腫サポートキャラバン隊in名古屋・2019年6月15日)

胸膜中皮腫と診断されて9年目になりました。今回お伝えしたいことは、実際どんな治療をしてきたのか。その後、復職できたのですが、復職にあたってどんなことがあったのか。あと、今、どういった後遺症、身体の問題を抱えているか。そういったことを知っていただけたらなと思います。今日のお話なんですけど、かなり病気に絡むことを話します。最後に趣味もお伝えしていきます。

■確定診断と治療の経過

まず、診断と治療の経過ということで、確定診断、抗癌剤手術、放射線、この順番で治療をしてきました。まず、きっかけからですけど、私は職場が病院でして、職場の健康診断のレントゲンの検査で再検査になりました。

当時、リハビリの理学療法士という、今もやっていますが、仕事をしていて、その前がコンピュータ関係の仕事をしていまして、本当にアスベストとは何の関係も無いところで働いてきたんですが、大学生のころのアルバイトの時に、エアコンの取付で天井裏に上ったりとか、そういうアルバイトを何年かやっていて、もし関わるとしたらその時期なのかなというふうに考えています。なので、ちょっと仕事とは直接は関係無かったので、労災認定はされていません。

レントゲン検査で再検査になりまして、CTは自分の病院で撮ったんですけど、やっぱり原因がわからなく、名古屋の第一赤十字病院で検査をしました。2ヶ月ぐらいかかって、血液検査から胸水、CT、PET、生検で確定診断になって、中皮腫のステージⅡからⅢという診断を受けました。

年明けから仕事を休みまして、病室が空いたらすぐに抗癌剤をやるということで、アリムタとシスプラチンの治療をもともと4クールだったんですけど、2クールやっても特に効き目が無いということで、2クールでいったん打ち切って、4月に手術という流れになりました。
その後、退院して放射線治療を、このあたり、当時からこれが標準治療で、たぶんそれに則って病院もやっていったんだと思います。最初にお伝えしたステージⅡからⅢですが、手術適用がⅠからⅡなので、手術をするかどうか、どういう判断だったのか、わからないんですけど、意外と淡々と、じゃあ手術しますのでと言われ、僕からも、その当時はあまり知識も無く、あまりしっかり相談せずに、言われるがままという形で進んでいきました。なので、抗癌剤は2回、2クールやりました。

■胸膜外肺全摘の手術

手術なんですけど、左の胸膜と肺を全摘です。横隔膜まで浸潤していたので、横隔膜も取って、胸膜も取るとどうしても心膜も取らないといけないので、心膜を取りました。手術の際に、たぶん邪魔になるということで、第6肋骨も取ってます。

手術前に、その手術後の痛みを緩和するために、ゴム風船に痛み止めを入れたようなものを背中に最初に入れておくんですけど、それが結構痛かったなという記憶があります。それを入れて、その後は全身麻酔なので覚えてないです。

夕方までかかったみたいで、目が覚めたときはやっぱりすごい痛くて、呼吸も鼻にいろんな管が入っていたりして、何か半分、溺れているような感じでした。

そのときの時間の感覚もよくわからなくて、何か寝かされていたんですけど、なかなか眠れず、痛み止めや睡眠導入剤を点滴してもらって、少し楽になるんですけど、とにかく痛くて、手術の当日、次の日ぐらいは結構しんどかったなと記憶しています。

次の日、その次の日も起き上がるのはすぐにはできなかったです。あと、手術後1週間ぐらいは、何か幻覚が見えたりとか、あと頻脈が出て、頻脈自体は手術前にもしかしたら出るかもしれないよ、という話があったんですけど、実際それが出て続いていました。

手術して1週間ぐらいすると、少し歩くということができて、そうこうしているうちに人工横隔膜が破れてしまって、医師からは咳は絶対しちゃダメだと、横隔膜が破れるということだったんですけど、ちょっと排便のためにいきんだら破れてしまって、もう一度似たような手術をするはめになったんですけど、ただその手術をしたおかげかどうか、それ以降、頻脈が収まりまして、再手術後1週間、2週間ぐらいで退院できました。

ただ、その横隔膜って骨にひっついてない筋肉なので、組織同士、縫っていかなきゃいけなくて、どうしても外れやすいみたいです。ドクターから、ちゃんと外れないように肋骨に縛り付けときましたので大丈夫ですと言われてましたが、何か肋骨に縛られるというのも、それを聞いて嫌な感じはしたのですが、その後は特に問題無く来ています。

■手術後の放射線治療

そこから退院して1ヶ月間は自宅療養で、少しなるべく動きながら1ヶ月送って、その後、放射線治療に入りました。1ヶ月半ぐらい、月曜日から金曜日まで毎日。

朝一番に予約を入れさせてもらって、だいたい1回30分ぐらいですかね。ただその30分やっているときも、結構、気持ち悪いというか、そういう何とも言えないものに悩まされましたね、この放射線に関しては。

放射線を当てていくと、肌がどんどん黒く、すごいひどい日焼けのようになっていって、治療が終わるころには何かもう真っ黒になってくるんですけど、本当の普通の日焼けみたいに、しばらくすると皮がぼろぼろっとめくれて、今は見た目、何ともないですね。ちょっと乳首の色が左だけ黒いというふうに残ってますけど、それ以外は特に。

治療中は照射位置を示すシールが胸に貼られたりとかして、その頃、がんばってスポーツジムに通ってたんですけど、やっぱりちょっと肌も黒くなってくるし、変な目で見られるということはありました。

放射線に関しては、やっぱり中の組織を焼くというようなイメージで、それをやったがために、たぶん癌細胞には効いたのかもしれないですけど、筋肉自体がすごくつっぱる感じが強くなって、痛みが増したかなという感じはあります。放射線の影響かどうかは断言できないんですけど、そういうものが残りました。

■復職に向けて工夫したこと

その後、復職に向けて工夫したことということで、せっかく治療して何とか動けるようになったので、職場のほうはいつでもいいよと言ってくれていたんですけど、まずはとにかく身体を動かしていかないと。仕事自体が患者さんのリハビリをするという仕事なので、どうしても自分自身、身体を動かさないといけなくて、まず体力、あと弱っている筋力を戻していくために、スポーツジムに通って、筋トレと体力強化、あとはなるべく歩く。そういったものを組み合わせて、この手術前にもやったのですが、運動や体力強化が、体調を整えたりとか、早く復職したりとかに繋がったのかなと思っています。

たまたま近くにスポーツジムがあって、そこにプールもあり、やっぱり肺が1個になってしまったので、ちょっと動くと、ものすごいしんどいのですが、トレーニングしていくとだんだん持久力もついてきて、いろいろやっているうちに水泳もできたりして、それが自信にもなってきました。一通りの治療で8ヶ月休んで、その後、復職できました。手術後ですと退院して4ヶ月後に復職できました。

■復職後に感じていること

今度、復職後にどんな感じだったかというのをお話させていただきます。もともと病院に勤めていて、もちろんその患者さんがたくさん入院されていて職場がすごく忙しくて、なかなか職員に対しては、そんなに配慮はしてもらえなかったですね。最初は無理するなよ、という話でやって、1週間、2週間、1ヶ月経たないぐらいで、他の人と同じ量をもうやってました。

ただ、この段階で、もともと病院自体がリハビリ病院で、脳卒中で倒れた方が入ってくるようなところなんですけど、その中で、介護保険で通いで来る通所リハビリも併設されていたので、職場はその復職したタイミングで、そちらのほうに異動になりまして、そんなに重度の方がその職場にはいないものですから、そのあたりは少し身体の負担は考えてもらえたのかなと思います。そういったところで、他の職員と同じリハビリをやることを一応今でも続けることができています。ただ、あまり配慮はなかなかしてもらえない。

ただ、今の仕事だったから何とか復職はできたのですが、もっと身体を使うような仕事だったら、やっぱり復職はきついのかなと。

なので、今の職場の6階にリハビリ室がありまして、そこでリハビリをやっているのですけど、階段を使ったりとか、患者さんの体力を付けるために階段練習があるのですが、そこはかなりしんどいです。場合によっては患者さんに付いていくのがやっとという感じのときもあり、平地を歩くのはだいぶ慣れたのですが、階段を上るのは今でも相当きつい。復職して8年経っていますが、そんなに負担なくできる動きと、今でも本当にしんどい、なかなか慣れるに慣れない動きがあると感じています。

■人にはなかなか言えない後遺症

次に、人にはなかなか言えない後遺症で、細々したものですが痛みですね。主治医からも、社会復帰できるかどうかは痛みの兼ね合いだと手術前から言われていまして、肺を取り出す、胸膜を剥がすために、かなり筋肉を切っているので。切ってもう1回つないだところは伸び縮みはしないので、そういうところに、突っ張った痛みが常時あります。これはずっと変わらないですね。

あと、筋肉を切ったところで、その筋肉を強く働かせると、やっぱりそこに痛みがあるので、ある特定の動きをするときの強い痛みは変わらず残っています。

また下っ腹が痛い。これは直接関係無いように思えますが、この横隔膜というのが人工膜になったことで、腹腔がかなり胸腔のほうにせり上がっていまして、胃の位置がかなり高い位置に上がってまして、どうしてもそこにガスが溜まって出ないんです。なので、レントゲンやCTを撮っても、全部そこに空気がいつも溜まっていて、それがお腹の中に溜まっていて痛みがあります。

あと、息切れです。これはどうしようもないのですが、肺活量が半分になっただけじゃなくて、肺胞ですね。ガス交換の機能自体も半分になっているので、本当にちょっとしたことでやっぱり息切れはでます。ただ、これももう、耐えるのと慣れるというぐらいしかないのかなという感じです。なので、普通に歩いていても、みんな歩くのが速いので、街の中でも追い抜かれちゃうということは多いです。

あとは排便困難ということで、横隔膜が無いので腹圧がかからないです。なので、いきんでもなかなか圧がかからないので、うまくいかない。で、さっき言った、ガスがずっと溜まっているので、どうしてもおならがものすごく出るので、これはちょっと仕事をしている上では結構しんどいところです。

それと肺を取っちゃうとすぐにむせてしまうので、変なタイミングでむせると、周りから「大丈夫ですか?」みたいな、そんな感じで見られたりもします。

あとは睡眠不足で、これも左側を手術しているので、左の横向きに痛くてなれないので、右、仰向けか右にしか寝れないです。ずっと右だけを下にしているので、それが積み重なって右側とか腰に痛みが出ています。

■現在の問題点と今後の不安

今の問題と今後の不安ですが、左肺はドクターも取り切れたんじゃないかと言いますが、アスベスト自体は両方の肺で吸っているわけなので、右肺も発症しないという保障は無いので、そういうリスクは結局はあるのかなと。

あとは仕事がいつまで続けられるのか。今、52歳ですけど、まだまだ働かないといけないのですけど、やっぱり体力、筋力は低下してきているので、だんだん仕事自体が辛くなってきました。なので、その辺、職場に相談して、身体を動かす仕事を少しずつ減らしていけるかどうか。そういったところは相談していく必要があるかな。

一応、理解はしてもらえているとは思うので、職場との関係性をしっかり保っていくことで、そのあたり、うまく進めていけたらいいかなと思っています。

■手術した後でも出来たこと

ここまで病気中心の話でしたが、ここからは出来たことをお話しします。手術して1年未満でスポーツジムに行って、高齢の女性の方がほとんどで、本当にすごくお元気で、その当時の僕の何倍の運動もできるので、かなりしんどかったです。それでも、プールがあって、僕もともと水泳部で泳げるので、そこで結構泳げたのが、自信になりました。

それと職場の同僚と金比羅さんに登るというので、職場の同僚も僕が肺を取ったことは知っているのですが、僕以外は全員若くて、当時で25ぐらいですかね。大丈夫、大丈夫って言って、一緒に登らされて、本当に死ぬかと思いましたけども、良い思い出になりました。それが術後2年ぐらいですね。

あと術後3年に野球をしました。もともと草野球を遊びでやっていたのですが、何とか出ただけという感じですかね。1塁まで走るのが、走っていたかどうかも危ういぐらいなんですけど、それでも何とか出れた。あとゴルフも、今はカートがあるので18ラウンド、後半相当バテましたけど、まあ何とか回ることができました。

術後5年です。かなり長距離のウォーキングがありまして、真ん中が息子なのですが、反対側が友だちですね。6時間ぐらいかかって、みなさんすごい年配の方が、僕らの横をどんどんどんどん追い越していきましたが、それでも本当に歩ききれたというのは自信になりました。これも息子ですけど、海水浴にも行くことができました。

あと、京都旅行で、これは1人で行きましたが、3万5000歩歩くことができた。この年にオートバイを買いまして、北海道にツーリングキャンプで、毎年1週間くらい休んで毎年行っています。また低い山ですけど、さっきの30キロ歩いた友だちが山登りが好きで一緒に連れて行ってもらったのですが、これはもう本当に、本当に苦しかったですね。ただただ苦しい。ただ、それでも苦しいのを我慢して動いて、それが10分20分経ったら、なんとか我慢を続けてできるというのがわかりました。それ以上はできないので休みながら。

こういうことをやってみると、ある程度限界というものがわかるのかな。ただ山登りはこれが最初で最後です。以上です、ありがとうございました。

腹膜・心膜・精巣鞘膜中皮腫におけるニボルマブ(オプジーボ)使用についての署名のお願い

胸膜中皮腫のセカンドラインの治療薬として、昨年、ニボルマブ(オプジーボ)が保険適用薬として使用されるようになりました。
一方、胸膜中皮腫以外の腹膜等の中皮腫(腹膜、心膜、精巣鞘膜)の患者は非該当とされたままです。
腹膜等の中皮腫患者は、胸膜中皮腫に準じる治療を受けています。
私達は、腹膜等の中皮腫患者にも胸膜中皮腫と同様の治療の選択肢を一日も早く認めて頂きたいと願っています。
この切実な思いを以下の要望にまとめ、政府、薬品会社、医療者の皆さんに届けたいと思います。
できるだけ多くの中皮腫患者の方々にこの要望に加わって頂きますようお願いいたします。同時に、患者家族をはじめ、多くの皆さんにご賛同の署名を頂きますようお願いいたします。
2019年6月7日
中皮腫サポートキャラバン隊
共同代表 栗田英司・右田孝雄