5年間の闘病生活を振り返る

埼玉県 黒田明宏

2014年1月(平成26年)早々に1通の封書が届いた。昨年の12月に受診した定期健診の結果である。胸部X線の欄には「胸部腫瘍疑い」とあり要再検査とのこと。検査予約を行い御茶ノ水駅近くにある健保センターで人生はじめてのCT検査を受けた。センター医からは胸膜壁面に2ヶ所程異常が見られるため病院を紹介するとのこと。それまで、何の症状も無かったが35年前から20年間アスベストを使用したパイプを用いて工事する職業に就いていた。

青石綿にFRP樹脂を含侵させたパイプで全国の温泉地や別荘地で配管したり修繕する際に切断、研磨する際の粉塵で曝露していたのである。このパイプは、現在も当時からそのままで利用されているところもあり、規模の大小はあるがエタニット管の問題と類似している。

同年2月に大学病院を受診した。闘病生活の始まりである。初診は、呼吸器内科であったが、CT検査以降呼吸器外科に変わり3月末に胸腔鏡下胸膜生検を実施、左悪性胸膜中皮腫(上皮型)ステージⅠと診断され無治療で一般的には7〜9ヶ月らしい。当時病院では、胸膜摘除+術中温熱シスプラチン灌流療法の手術後にシスプラチン+ペメトレキセド(アリムタ)の抗がん剤治療を4コース組み合わせた集学的治療を実施しており、肺全摘手術に比べ術後の体への負担が少ないことなどの説明と受けた。しかしどうするか決断できずセカンドオピニオンを実施し他の大学病院の医療センターを受診したがその病院では、肺全摘手術となり胸膜剥皮手術は実施していなかった。自宅からの交通の便が悪いこと手術の順番待ちも長期であることから前者の大学病院にて手術を受けることとした。会社は入院直前に休職し、労災書類を提出するとともに5月26日に手術した。胸膜切除術終了後に胸腔内に温めたシスプラチンを循環させる方法である。朝8時30分に手術室に入り集中治療室(ICU)に入るまで、なんやかんやで14時間程経過していた(当然ながら翌日聞いた)らしい。翌日の午後には一般病棟となり回診時にはベットから降りて立つ様に指導、まるでリモコン付きのロボット状態である。経過もよく2週間ほどで退院した。背中の傷は大きいが日が経過するとともに良くなってくるのが感じられた。

6月末より抗がん剤治療である。標準治療となっているアリムタ+シスプラチンを4クールその都度入院して実施した、だいたい3日後以降に「だるさ」「食欲不振」「しゃっくり」となる。担当医からは好きなものを買い物して食べて良いとの指導がありこれは助かった。病院内のコンビニでカレーうどんやおむすびなど好きなものを食べられ痩せることなく治療を終えることが出来た。困ったこととしては入院中トイレが近くなることと、軽度の脱毛がありのちに天然パーマ状態になったことだ。幸い家族に笑われているうちに元通りとなった。

2015年には体調も落ち着き、中皮種に関する情報が欲しいことから病院内のガン相談センターの案内もあり2月に患者と家族の会亀戸事務所を訪ね入会した。また、3月末には治療に専念したく会社を退職した。労災も決定しすべての手続きを終えた。

4月末に頸部リンパ節に転移、5月下旬に郭清手術、6月から放射線治療、9月中旬から2種類目の抗がん剤治療カルボプラチン+ジェムザールを4クール実施。手術後には、嗄声(させい)といい、かすれ声状態になる。また、呼吸困難(一時的)となり病院まで1時間救急車で移送してもらったことが一度あった。放射線治療では、患部のかゆみ程度で副作用はなく、抗がん剤治療も、だるさ以外特に副作用を感じることはなかった。

2016年1月には気管支分岐下リンパ節に転移。3月に郭清手術実施。7月には左背中肋骨間に再発。定位放射線治療を実施した。定位放射線治療は、複数の角度から腫瘍に放射線を照射する方法で実質20分程度の時間で後のかゆみもほとんどなく経過した。

2017年1月に縦隔リンパ節(食道下部脇と大動脈近く)の2ヶ所に転移。3種類目の抗がん剤ナベルビン単剤で15クール実施。この抗がん剤は、副作用で血管や抹消神経系の痛みがある。点滴した左手が、「しびれ」て最初頃は寝れず痛み止めを処方してもらったが余り効果がない状態で次第に症状は緩和した。腫瘍は「不変」の診断であったが約14ヶ月経過後に変化あり終了となった。

2018年6月に食道下部の腫瘍を腹腔鏡手術にて摘出。9月からは大動脈近くの腫瘍に対して定位放射線治療を実施した。12月には右腋下に新たな腫瘍が見つかり郭清手術した。

2014年からの5年間で手術6回、放射線3回、抗がん剤3種類を実施し入院回数が16回となる。今後も治療は継続されるが、毎年7月15日には孫を連れて伊豆の海(富士山がとってもきれいです)に海水浴に出かけることが行事となっており、今年は孫も増え大所帯で行ければと楽しみにしている。 家族や友人に心配をかけながら支えてもらいながらの5年間であった。これまでの経験がこれからの中皮種患者の皆様の参考になればと思いこれまで以上にキャラバン隊のお手伝いをさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。